清洲城 2009/01/16
友人から青春18切符の1回分をいただいた。期限まであと5日というところで、とりあえず近場の日帰りで名古屋方面へ。JRから上り名古屋に近く左側に突然現れる天守は何?、と当初は思っていたが、その後、これは「清洲城」であることを知った。以前から、一度訪れてみたいものとの思いがあった。
米原駅で新快速豊橋行きに乗換。
近江長岡のあたりで車窓から伊吹山。
尾張一宮で新快速から普通に乗り換える。
清洲駅。所在地は清須市。
駅前の細い道を10分ほど歩く。
先に古城公園。
本来、このあたりに天守台。
本丸のほぼ中央を新幹線が開通して以来・・・
悲しいかな開発の犠牲の城。
見えて来た復興天守。
旧・清洲町の町制100周年を記念して平成元年(1989年)に再建。
弘治元年(1555)には織田信長公が那古野城から清洲城に入城。
桶狭間で今川勢と戦ったとき、この清洲城から出陣をし大勝。
やっぱり、どう見ても、「犬山城」?。まあ、時代としては同じころ。想像のデザインとしてはこんなもの?
まず、一周してみよう。
バブル絶頂期の建築物はさすがにリッパ!
最上層のの回廊は、「当時の市長が眺めがいいからつけては?」の一言で付けたとか。
清洲は昔は尾張の首府だった。
それが家康の命令で、首府が名古屋に移る。
当時の唄は「思いがけない名古屋が出来て、花の清洲は野となろう」と歌われた。
こうして「東海の巨鎮」といわれた清洲城も廃城にいたる。
後にも大洪水が起こり何もかも無くなったという。
中に入ってみる。
入場料300円。
手造り甲冑たち。
右側の甲冑は本物。
階段で上がる。
結構リアルな再現場面。
信長が桶狭間への出陣前に家臣の前で「敦盛」を舞う。
人形の衣装は本物を使っているとか。
この信長、かなりリアルです。まあ、本物は見たことないけど。
濃姫も蘭丸もなかなかリアルです。
左から、秀吉、信長、信長、家康の兜。
もちろん、レプリカですが。
金箔押し瓦の華やかなこと。
発掘瓦には確かに金箔が残る。
信長、享年49。自分は・・・
回廊からの眺めは・・・
JRの向こうも城内だった。いや、城をJRが分断した。
岐阜城とはまた、少し違う雰囲気。
濃姫の像。
JRの向こう側に清洲公園。
26歳で桶狭間決断をした信長の像。
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