寺内町は、浄土真宗のお寺を中心に造られた町で、15・16世紀頃、近畿を中心に各地に造られました。大阪府下でも八尾市の久宝寺や貝塚市など多くの寺内町が見られます。富田林寺内町も永禄年間(1558〜69)に興正寺・証秀上人によって創建されました。上人は、「富田の芝」と呼ばれたこの地域の荒地を、当時の支配者である安見直政から銭百貫文で買い取り、周辺の4ヶ村(毛人谷〔えびたに〕・新堂・中野・山中田〔やまちゅうだ〕村)から有力者2名ずつ計8名(八人衆)を集めて、興正寺の別院と町の建設を要請しました。 町は、一段高い台地の上に造られ、周囲には土居がめぐらされ、その外側に竹やぶが繁っていました。町筋は、6筋8町で構成され、南北の通りは「筋」、東西の通りは「町」と呼ばれていました。現在、その土居などは残っていませんが、南側の石川沿いには竹やぶが残っています。 |
江戸時代から明治時代にかけては、この地域で収穫される米や綿などの農作物と良質の水にめぐまれ、河内木綿を扱う商家や造り酒屋など商業の中心・交通の要衝として繁栄しました。 |
その中でも、「杉山家」は、寺内町が造られた頃からの旧家(8人衆)で、酒屋として成功し繁栄しました。明治の終わり頃に明星派の歌人として活躍した石上露子(本名杉山タカ)が、明治15年(1882)当家で生まれました。旧杉山家住宅は、17世紀ごろに建てられた寺内町でも古い建物で、現在、国の重要文化財に指定され、内部を見学することができます。 |