月曜日の公休は、どこの美術館、博物館も休み、図書館も休みときている。 いい天気の今日、今、人気のNHK大河ドラマ「功名が辻」で脚光を浴びている長浜へ行ってみよう。 |
JR北陸線と湖西線の電源が交流から直流化で新快速が敦賀まで伸びたことにより、長浜から北の各駅は全面改修。中でも、長浜駅はものすごいきれいになった!!!。これが、あの長浜駅?。 |
一豊、千代の時代の資料など、意外に充実しており、なかなか良かった。 晩年の秀吉の悪業である朝鮮出兵、そして、秀次に謀反の疑いを押しつけ、妻、側室、遺児・侍女など39人が京都三条河原で三宝にのせられた秀次の首を前にして次々に処刑された様子、これら39人の肖像、名前、法名、享年、辞世の歌の展示には胸がつまる。 |
安藤家の祖は藤原姓を名乗り、室町時代に長浜に住み始めたと伝わっています。当地での3代目祐正は、賤ヶ岳合戦(1583年、織田信長亡き後の羽柴秀吉と柴田勝家の戦い)で秀吉方の電撃作戦に協力しました。 長浜城主の秀吉は町衆の中から「十人衆」を選び長浜の自治を委ねましたが、安藤家は代々九郎右衛門を名乗り、十人衆から選ばれる三年寄の一家として江戸期を通じて活躍しました。明治時代以降の安藤家は、近江商人との姻戚関係から自らも商人として東北地方を商圏に長浜の産物の交流につとめています。14代目にあたる現当主安藤権一氏(鎌倉市在住)も近年まで百貨店経営に携わっていました。 明治38年(1905年)に建てられたこの住居は、紅殻格子(べんがらごうし)、虫籠窓(むしこまど)などが施された長浜を代表する近代和風建築です。北大路魯山人により彩られた離れの"小蘭亭"や、"古翠園"と名付けられた庭園とともに長浜の貴重な歴史遺産となっています。 |
長浜駅への帰りに、「鍾秀館」というのに入ってみた。財団法人下郷共済会が運営しているという。 全く知識が無かったが、長浜出身の実業家下郷傳平がその財で地方に多くの貢献をした。1代、2代で収集した美術品、歴史的資料は非常に多かった。残念ながら、3代目は全く働かず、多くの収集品や専用美術館も売ってしまい、今は4代目が残りの美術品などを名古屋の倉庫に保管しているという。まだまだ貴重な宝物を写真にして鍾秀館に展示している。いずれは、再び、長浜へ戻すのが目的という。下郷コレクションを展示していた3階だての美術館は、すぐ近くにJAとして今も残っている。再び買い戻せるといいですね。すばらしいコレクションがあります。 |