ありし日の江若鉄道 2006/08/06



大津歴史博物館

 昭和39年に東レ滋賀工場に就職。しばらく寄宿舎生活だった時、比良山、比叡山に行く時は琵琶湖の西岸を走る江若(こうじゃく)鉄道を良く利用した。
 しかし、JR湖西線への移行が決まってからはバス運行に切り替わり、今では、江若鉄道の跡形は全く無い。


 ここ数日、ずっと晴れ続き。晴れというより、灼熱地獄の毎日。今日も35℃という猛烈な気温で、外にいることは「危険」。
 どこかに行くにも日曜日はいっぱいと思う。そこで、これなら・・・・と。


 自分はテッチー(いわゆる鉄道マニア)ではないが、引退してしまった鉄道というのはなぜか、懐かしく、郷愁を誘うものだ。


 「江若鉄道」と聞いて、当時の姿をイメージできる方は、おそらく40代以上の方でしょう。江若鉄道は、浜大津から今津までの鉄道で、近江と若狭をつなぐという意味から、それぞれの一字をとって、その名が付けられました。大正10年に三井寺−坂本間が、昭和6年には浜大津−今津間が開通しましたが、若狭まで延伸は実現することなく、昭和44年に廃線、同49年に開業した国鉄(JR)湖西線にその役割を譲り、約50年の歴史を終えました。
 廃線から37年、今では当時の痕跡はほとんど失われてしまいました。展覧会では、江若鉄道の運行時の様子を伝える写真をはじめ、沿線パンフレットなどの様々な資料から、湖西の鉄道の歴史をたどると同時に、沿線の様子の再現を試みる展覧会です。



当時の切符、時刻表、駅の備品など、やっぱり集めていたマニアがいたんやなあ。


廃線時の従業員の就職活動など、当時の担当者の苦労のビデオも興味深い。


地形、駅建築を模したパノラマにかわいい電車が走る。





廃線当時の新聞記事や子供たちの作文など、当事者にとっては大事な宝物。


8ミリによる廃線前の車内からの沿線の眺めは二度と見られない貴重な風景。


写真、多くの資料が全ての駅単位に展示されている。


日頃、何気なく写した写真などが将来どこで貴重な資料になるか分からないなあ。



とにかく、暑いので、動くのはマズイ。喫茶店で一息。今日はもう帰ろう。
草津の映画館で「パイレーツオブカビリアン」を。



つれづれぐさページへ戻ります。



2006年のつれづれぐさへ