幼児期、小学校から中学校、高校、そして結婚までは、自分の故郷といえる彦根だった。彦根は身体障害者の母が一人で姉二人を含む3人の子を極貧生活の中で育ててくれた思い出の地である。 学校の卒業生は故郷を離れると、消息不明になるケースが多い。もちろん、役場へ行けば、追跡できるんだろうが、そこまでは普通は誰もしない。だから、同窓会の案内も卒業当時の住所に出して不通ならそれで音信不通になるのは当然のこと。彦根から出て、ここ栗東へ移った時点で自分は行方不明者になっていた。中学校の同窓会も数年ごとに過去に数回実施されていたようだ。 そのままだったら多分、死ぬまで連絡は無かっただろう。それが、思いもかけず、自分が見つけられたのはインターネットである。インターネットの掲示板、ホームページの書き込みなどをしていて、いくつかのキーワードから、ひょっとして、同じ中学校の同窓生ではないか?と旧友が気づいてくれ、それをもとに、今回の中学校同窓会での案内をいただいた。まさに、偶然、インターネットのおかげである。 |
彦根駅前の「ホテルサンルート彦根」にて。昭和36年に卒業して以来の実に、45年ぶりの再会である。あまりにもこの歳月の長さにクラクラする。男も女もみんな美しい青春時代、輝かしい仕事を成し遂げた時代、子供たちを育てた時代など、それぞれの人生、もっとも充実し楽しく、また苦しい45年間の過去が空白化された、今、実年60歳で再会である。学区が同じなら、小学校から中学校まで9年間もいっしょだった友達が、ついこの間のように話し合っている。考えてみれば不思議であるが。 持参した中学校卒業アルバムと比較しながら、確かに、あの時の○○君、△△さんの面影はある(殆ど昔の顔もあるし、あまりにも変貌している人もある。) かわいい女の子の美しい女性になった時を知らず、還暦になってから今会うというのも、残酷か。 |
会場にて、プロジェクターを使い、過去の写真や、母校で撮影された日活映画「青い山脈」などの上映をして、かなり喜ばれた。 |