京都葵祭り 2006/05/15



 京都の葵祭りは祇園祭、時代祭とともに、京都の三大祭りのひとつ。特に、葵祭りは歴史の古さとして別格である。
葵祭りは今までに、1回も行ったことが無い。たまたま、休日だったので、体験した。葵祭りはだいたい雨に降られるというが、晴天とは言えないながら、なんとかもちこたえた。翌日16日はやっぱり雨に降られた。



行列は朝、御所を出発しているが、家をゆっくり出たので、行列の休憩する下鴨神社に直行。


当神社のシンボルマーク?、葵。


現在、行列はここで休憩中。午後の出発は14:20。それまで約2時間、ここで待つ。






「つれづれなるままに・・・」で始まる方丈記。その、方丈がここ。現代のプレハブ。6畳も無い。








流鏑馬は終わったが、今日は、馬が駆け抜ける500m。スタート地点からゴール方向を望む。




扮装をすると、それなりに・・・。失礼しました。


おごそか・・・


馬さんたちもスタート地点へ向かう。


ずーっと、500mが人でギッシリ。入る余地が無いので、ゴール地点になんとか陣取る。


すごいスピートで駆けてくる。






下鴨神社本殿へ。


とにかく由緒ある神社である。



糺の森もバスに陣取られてます。


出発もものすごい人で、とにかく、前の方に入れた。


鮮やかな衣装が道路に映える。



よく似合ってらっしゃる。




特に気品のある馬に乗るのは?


平安の女性はこんなかっこで道を歩かなかった?



警護のおまわりさんごくろうさま。



下鴨神社のサイトから

 今から約一四〇〇年前の五六七年、凶作に見舞われ飢餓疫病が蔓延した時に、欽明天皇が勅使を遣わされ、「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされている。上賀茂、下鴨両神社の例祭であり、この国の祭り中の祭として「枕草子」にも称えられている。また、「祇園祭」「時代祭」と並んで「京都三大祭」の一つに数えられるが、時代祭は町衆参加の町の人が主体となる祭りであるのに対し、葵祭は官の祭であったことが色濃く残されている。
 応仁の乱の後、元禄六年(一六九三)までの約二〇〇年の間、また、明治四年(一八七一)から明治一六年(一八八三)、昭和一八年(一九四三)から昭和二七年(一九五二)までの間は、祭の中断や行列の中止があった。
 葵祭は平安王朝時代の古式のままに「宮中の儀」「路頭の儀」「社頭の儀」の三つに分けて行われ、内裏神殿の御簾をはじめ、御所車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、全てを葵の葉で飾ったことから「葵祭」と呼ばれるようになった。「路頭の儀」と「社頭の儀」がよく知られており、路頭の儀が葵祭のハイライト、都大路の行列である。
 行列は、勅使をはじめ検非遺使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など平安貴族そのままの姿で列をつくり、午前十時三〇分、京都御所を出発する。そして、王朝風の優雅な列が市中を練り、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かう。






場所を変え、追いかける。


第51代斎王代は、藤田菜奈子さん。十二単は暑いだろう。

 
京都新聞ニュースから














メインの牛車は最後に。


馬は何にも言わないが、牛は「モーモー」とやかましい。


雰囲気ある。


異人さんは、盛んに、牛車を背景に撮影していた。












鴨川の橋を通過。右奥がゴールの上加茂神社。


もうちょっとがんばれ。




橋を渡った。もう少し。




あぁー。ホッと。鴨川の流れにのんびりと癒し・・・


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