京都の葵祭りは祇園祭、時代祭とともに、京都の三大祭りのひとつ。特に、葵祭りは歴史の古さとして別格である。 葵祭りは今までに、1回も行ったことが無い。たまたま、休日だったので、体験した。葵祭りはだいたい雨に降られるというが、晴天とは言えないながら、なんとかもちこたえた。翌日16日はやっぱり雨に降られた。 |
今から約一四〇〇年前の五六七年、凶作に見舞われ飢餓疫病が蔓延した時に、欽明天皇が勅使を遣わされ、「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされている。上賀茂、下鴨両神社の例祭であり、この国の祭り中の祭として「枕草子」にも称えられている。また、「祇園祭」「時代祭」と並んで「京都三大祭」の一つに数えられるが、時代祭は町衆参加の町の人が主体となる祭りであるのに対し、葵祭は官の祭であったことが色濃く残されている。 応仁の乱の後、元禄六年(一六九三)までの約二〇〇年の間、また、明治四年(一八七一)から明治一六年(一八八三)、昭和一八年(一九四三)から昭和二七年(一九五二)までの間は、祭の中断や行列の中止があった。 葵祭は平安王朝時代の古式のままに「宮中の儀」「路頭の儀」「社頭の儀」の三つに分けて行われ、内裏神殿の御簾をはじめ、御所車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、全てを葵の葉で飾ったことから「葵祭」と呼ばれるようになった。「路頭の儀」と「社頭の儀」がよく知られており、路頭の儀が葵祭のハイライト、都大路の行列である。 行列は、勅使をはじめ検非遺使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など平安貴族そのままの姿で列をつくり、午前十時三〇分、京都御所を出発する。そして、王朝風の優雅な列が市中を練り、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かう。 |