大絵巻展 2006/04/26

京都国立博物館






京都国立博物館は久しぶり。


見事な八重桜にうっとり。





サイトから

絵巻は巻物の形に詞(文字)と絵画によって物語をあらわした芸術作品で、我が国で独自の展開を遂げました。
  平安時代の半ば、物語の成立からほどなく、その一部を絵にあらわして、それぞれの登場人物に感情移入する形で歌を詠みあうという鑑賞のために物語の絵画が描かれ始めていますが、それが巻物の形をとったところに絵巻は誕生しました。そして十二世紀に一つの頂点を迎えます。
  伊勢物語や源氏物語などの作り物語にはじまった絵巻は、説話に主題を広げ、さらにその派生として合戦絵、寺社縁起絵、高僧伝絵などが作られるようになり、経典に基づく絵巻も制作されました。また文学の変容にしたがい、擬古物語、お伽草紙、幸若舞曲、謡曲などを主題に採り入れて多彩に広がっていきました。
  この展覧会では、巻子という横に長く展開する、しかし天地の幅には制約のある画面を用いた絵巻の特性に注目しながら、平安時代から江戸時代に至る絵巻の代表的な作品によってその魅力に迫ります。
  展示は、初期の絵巻を代表する源氏物語絵巻、信貴山縁起、鳥獣人物戯画といった平安時代の古典的名品を展示する「絵巻の古典」のコーナーをはさんで、「絵巻の物語表現」と「絵巻画家群像」という大きく二つのテーマで構成されます。
  前半の「絵巻の物語表現」では、巻物という長い画面のもつ表現の可能性をみていきます。人物中心に画面を構成して凝縮された心理表現を中心にするもの、物語の起こる場を広くとらえ、物語(事件)の起こっている場のリアリティーをあらわそうとするもの、四季の景物や実景的な風景を広々と描いて風景画的な趣を見せるものなどがあり、また時間の経過をいかに表現するかということも大きなみどころです。また、物語をわかりやすくするために登場人物のせりふを画中に描きこむという手法を採っているものもあります。
  そして後半の「絵巻画家群像」では、中世から近世に至る、個人としての名が明らかな画家とその作品を取り上げ、その個性に迫ります。
  物語を絵画であらわすということは、物語世界をより豊かにするものであり、現代の映画やテレビドラマ、また漫画やアニメとも通底する世界を構成しています。
  絵巻は絵によって物語を鑑賞する事が第一義であり、今回の展覧会ではその点にも配慮し、また絵巻を臨場感をもって鑑賞することができるようにビデオなどを採用して、展示を工夫しています。
  当館での絵巻の展覧会は、二十年ぶりの開催であり、ふだんあまり目にする機会のない絵巻を見る絶好の機会となると思います。

入場して、「これは・・・・」と思い、戻って、やはり、音声ガイド500円を入口で頼む。
すごい宝物ばかりである。絵巻物は、今のコマまんが、アニメーションのはしりであり、右から左へ広げて見ていく。中には20mにもなるものもあるらしい。
普段は、巻物のほんの一部だけを開いた状態でしか見られないが、さすがに、絵巻の展示であり、全部開いている。
つまり、数メートルが全部開かれていて、展示室の壁際を観客は一列に並んで、少しずつ移動しながら閲覧する。
愛知万博の時のマンモスみたいに、動く歩道に観客が乗るやり方だと、混みはしないが、そうはいかない。
平日の午前というのに、かなり入場者は多く、行列になる。これでは、休日などは完全には楽しめないのではないかと思う。
巻物が巻かれたままで水に浸かったのか、傷み方が規則的に染め物のように汚れている。
「これが国宝か」という巻物。我々にはその価値は不明。美しい色が残っているのもある。
現代なら写真やビデオで残せる社会現象、事件の記録、風刺物語などを順に説明している絵巻物。
今のマンガなら枠を作るが、枠を風景や雲などでつないでいったり、番号つきせりふも書き込んで物語を説明しているのもおもしろい。
「鳥獣戯画」、「信貴山縁起」、そして、徳川美術館から来ている「源氏物語絵巻」など、まとめては絶対見られない国宝の数々。
しかし、「源氏物語絵巻」など、ほとんど色は落ち、何が描いてあるか分からないのに、これ、国宝?。というのは、無知な人間の感想か・・・・
まあ、絵巻物という物の見方が分かったということで、大きな勉強をしました。





ところで、国立博物館には、平常展示館というのがあり、今回初めて入った。
ここは、当博物館所蔵品の常設館で、それはそれはすごいものがある。
高精細画像による10000点の所蔵品検索システムなど、好きな人には一日いても過ごせそう。

ちょうど、修理なった醍醐寺の「大威徳明王坐像」が公開されていて、これも、すばらしいものだった。



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