今まで行ったことの無いところとして、名園で名高い無鄰庵を訪れることにした。 バスで京都会館美術館前で降り、疎水沿いに歩くこと約5分。すぐそこが南禅寺というところ。 |
明治27〜29(1894〜1896)年に山口県(長州)出身の明治・大正の元老山県有朋によって造られた別荘。 無鄰庵の名の由来は有朋が長州に建てた草菴が隣家のない閑静な場所であったところから、名付けられた。 |
敷地の大半を占める庭園がゆるやかな傾斜地に東山を借景とした池泉回遊式庭園が広がっている。 有朋がこよなく愛したこの庭園は有朋自ら設計・監督により植治・小川冶兵衛が作庭したもの。 |
疎水の水を取り入れ、三段の滝から池へと流れ込み、まわりに芝生が配してあります。 |
二階は重厚でシックな雰囲気の部屋になっている。 江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁図。 ここで明治36年(1903)4月21日、元老・山形有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小林寿太郎等の錚々たるメンバーによる日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰庵会議」がここで開かれた。 |
日本初の事業用発電所として1890年(明治23年)に完成し、この電力を利用して近代的な工業を興し、1912年(明治45年)には日本初の市電が走る。 |