無鄰庵、琵琶湖疎水記念館、金地院、院展 2005/09/29



今まで行ったことの無いところとして、名園で名高い無鄰庵を訪れることにした。
バスで京都会館美術館前で降り、疎水沿いに歩くこと約5分。すぐそこが南禅寺というところ。






拝観料を払って庭園へ。


緑いっぱいの中を進む。




明治27〜29(1894〜1896)年に山口県(長州)出身の明治・大正の元老山県有朋によって造られた別荘。
無鄰庵の名の由来は有朋が長州に建てた草菴が隣家のない閑静な場所であったところから、名付けられた。






敷地の大半を占める庭園がゆるやかな傾斜地に東山を借景とした池泉回遊式庭園が広がっている。
有朋がこよなく愛したこの庭園は有朋自ら設計・監督により植治・小川冶兵衛が作庭したもの。




回遊式庭園を歩く。


疎水の水を取り入れ、三段の滝から池へと流れ込み、まわりに芝生が配してあります。






 この庭園は明治時代の名園として国の「名勝」に指定されている。




こちらは洋館。


煉瓦造2階建ての洋館は明治33年5月に建築。






一階は植治、小川治兵衛の数々の作庭の展示室と有朋愛用品が展示。


二階は重厚でシックな雰囲気の部屋になっている。
江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁図。
ここで明治36年(1903)4月21日、元老・山形有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小林寿太郎等の錚々たるメンバーによる日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰庵会議」がここで開かれた。






琵琶湖から流れる水が。


勉強のため、入ってみよう。


鉄の水車です。


滋賀県の琵琶湖から京都市内まで、琵琶湖の水を京都市内まで引くための疎水(運河)。
大津のスタート地点も有名な地点。
この疎水の竣工100周年を記念して、疎水のほとりに建てられた(1989年8月開館)。


日本初の事業用発電所として1890年(明治23年)に完成し、この電力を利用して近代的な工業を興し、1912年(明治45年)には日本初の市電が走る。


疎水事業は東京遷都で人口が1/3も流出し、衰退した京都を復興させるための大事業。


当時の大事業での工事の苦労、事故、精細な設計図などの資料などが保存されている。


物資を高低差を利用して運んだインクライン。これがそのまま、外に保存されている。


子供たちの見学に鉢合わせ。


測量機器や図面なども非常に参考になる。


2階から望む。右横奥に平安神宮。




南禅寺の方へ歩いて、金地院へ。






巨大な大屋根?
方丈の大屋根の葺き替え工事らしい。


弁天池




東照宮


金地院には、拝殿天井の鳴龍、見事な襖絵などがある。


工事中の方丈


外面は工事中


枯山水の名園です。


絵はがきでガマンして。


拝観料半額にしてくれんかなぁ。



京都は、ちょっと、路地に入っても、なんでもあります。
雨月物語の上田秋成の墓がここに。



いつもながら、平安神宮の鳥居には驚かされます。


本日、京都市美術館に来たのは・・・


院展です。


ルーブルは先日来たし。


名のある大画伯の見事な日本画、そして、新人のすばらしい大作に感激。




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