没後35年 黒田重太郎展 2005/08/28

(滋賀県立近代美術館)







主催者のコメント
  黒田重太郎(明治20年:1887年〜昭和45年:1970年)は、滋賀県大津市に生まれました。明治37年、17歳の時に京都に出て鹿子木孟郎の門に入り、翌年浅井が中心となり開設された聖護院洋画研究所に入所します。39年には、鹿子木の渡欧とともに、浅井の内弟子となり、関西美術院に学んでいます。
 明治44年・45年、黒猫会・仮面会を結成し、新しい芸術運動を展開し、大正7年に渡仏し、翌8年の第6回二科展にピサロの影響を示す作品を発表し、二科賞を受賞します。10年には再び渡仏し、アンドレ・ロートの写実的キュービズムに共鳴して、帰国後の第10回二科展でその成果を発表しました。その後、二科展で活動を続けますが、昭和18年に退会し、戦後の22年に正宗得三郎、鍋井克之らと二紀会を結成し、死去するまでの活動の中心となりました。
 一方、大正13年には、鍋井、小出楢重らと大阪に信濃橋洋画研究所を、昭和12年には全関西洋画研究所を開設するなど関西洋画壇の育成に尽力した。また、昭和22年からは、京都市立美術専門学校で教鞭をとり、25年以降は京都市立美術大学の教授として38年に退職するまで後進の指導に情熱をそそぎました。さらに、美術関係の著述も多く残し、美術史研究においても優れた業績を残しています。

 本展では、二度の渡仏により印象派やキュービズムの影響を受けながらも、本的な油絵を求め、花鳥風月を愛し、土の薫りを残す作品を描きつづけた黒田重太郎の世界を、誕生の地滋賀県おいて没後35年を経て紹介しようとするものです。皆様のご来館をお待ちしております。




滋賀県出身の画家。いくつもの画家グルーブを創り、脱会などを繰り返す。
2回の渡欧を通じて、画風にヨーロッパの影響を強く受ける。
若いころの写生、水彩画、人物デッサンの写実画を見たかと思うと、渡欧時の各種作品、そして、帰国後の作品、そして、ブームの影響を受けた晩年の作品と、ものすごく違ってしまう画風にいささかとまどう。もう一度、はじめの方の展示作品を見に戻るほど、この画家はあまりにも大きく違う。本当に同じ画家の作品なの?とびっくりだった。油絵に日本画タッチが入ったかと思うと、セザンヌ、ドガ、ルノアール、マチスなどもそこにある。





それぞれ、クリックすると拡大表示します。


「コスチューム」 1930年 佐倉市立美術館蔵


「マドレーヌ・ルパンチ」 1922年 京都国立近代美術館蔵


「朱卓の牡丹」 1940年 大阪市立近代美術館建設準備室蔵


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