龍馬ざんまい(寺田屋、国立博物館) 2005/08/06



京都国立博物館での「龍馬の翔けた時代展」の前に、龍馬に触れようと、伏見を訪れた。
近鉄桃山御陵前を降り、商店街を抜ける。




ここは、龍馬通りです。


細い通りですけど。


どの店も、龍馬がらみです。


新撰組の羽織から、刀など、なんでもありまっせ。


龍馬ずし、龍馬せんべい、龍馬まんじゅう、龍馬漬け・・・


鯖ずしは特別うまい!!

突然の通り雨で、ちっちゃな喫茶店?で雨宿り。
きさくなおばあちゃんがやってる店。お客もばあさんばかりで、1杯200円。


あの有名な「寺田屋」を見学したい。


表札は「坂本龍馬」になっている。


正面


横の入口から。


龍馬が命拾いをした他、もう一つの大事件の舞台。


お登勢さんも祭られるとは思わなかっただろうな。


「薩長連合、大政奉還、あれはぜんぶ龍馬一人がやったことさ」と勝海舟に言わせたとおり、龍馬は維新の立役者だった。


世の人はわれを 何とも云はばいへ わがなすことは 我のみぞ知る
坂本龍馬も、十代の頃は土佐の城下で低能児呼ばわりさえされていた。その頃の歌という。



本来は「勝手口」から入らせていただきましょう。


玄関でチケットを買う。


イキなチケット


戦時中もダメージ無く、無事切り抜けてくれた、旅籠のたたずまいを実感。


写真など、フリークにはたまらない。


2階からの眺め。川のほとりに三十石船が着く。


じっくり見たら、値打ちのある一品ばかり。


ふすま、柱、かもいなど、昔のままに。


龍馬も、間違いなく2階からこの風景を見ていた。


2階から見る庭。右がお風呂がある。


お登勢さん、おりょうさんの写真など。


調度品なども値打ちもの。


寺田屋騒動:薩摩藩主の父・島津久光は幕府に攘夷を迫るため、家臣を率い京に上がった。
ここで、

藩の尊皇攘夷派の中でも急進派の有馬新七らは、それに乗じて決起。
久光は家臣の跳ね上がりを嫌い、同じく攘夷派だった奈良喜八郎らに同士打ちをさせた。
「ちぇすとう!」の気合いとともに、まっこうから振り下ろす大刀。このせまい部屋で壮絶な斬り合いが。


ここに、武士たちがたしかにいたことを実感するとともに、非常に多くの有名人が来たことを示す写真がいっぱい。




滞在コメントの多くの冊子






そう、洗濯して欲しいよね。我々にできるのは、政治家の選択。




お登勢はここ寺田屋の女将。大津の人とか。


1866年(慶応2年)1月23日、宿泊していた龍馬を、捕り方が暗殺しようとした事件。
おりょうさん(のちに龍馬の妻となる)は風呂に入っていて。


素っ裸でこの階段を駆け上がり。


2階の龍馬に危険を知らせたという。


気持ちのいい庭は癒し。


ガイドさんの説明は力が入る。


何かの本で知ったこと。不思議な集合写真があるって。ここで実物を見た。


龍馬もいる。西郷隆盛も勝海舟も・・・




また、来るよ。




京都国立博物館へ。


世に、偉人のフリークは多くいる。信長、秀吉、西郷南州など。
しかし、坂本龍馬ほど、人に好かれている偉人はないのでは。
常時、どこかで特別展は開催されているだろう。




龍馬が着用した紋服。実際の体格が分かる。

龍馬は筆まめで、ものすごい数の書簡が残っている。
しかし、我々には難読。当時の人たちは、全く問題なく読んでいたんだ。
というと、現代の日本人はアホなの?。教育の違いだけで解決するんだろうか。
今は、ワープロ、メールの文化。
将来、あの人の生きた証、偉業の証拠文献と言われた時のために、手書きの何かを残しておきたいね(^_^;)


慶応3年(1867)11月15日、中岡慎太郎、下僕の藤吉とともに近江屋で、殺される。龍馬享年33歳。
近江屋の室内に掛け軸と、この屏風があった。掛け軸にも、屏風にも飛んだ血しぶきが付着。
この屏風の左下のネコの絵のあたりに生々しく。




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