蕭白は同時代の京都の画家、与謝蕪村・池大雅・円山応挙・長沢芦雪そして伊藤若冲などに反抗するように、蕭白は文字どおり独自の画風を展開してゆく。とりわけ、当時の京都画壇を席捲していた写生派の円山応挙への対抗意識があったのだろうという。 また、絵のサインに、何の関係もない十代目の曾我蛇足(曾我派は水墨画の流派)と名乗ったり、藤原鎌足の末裔と名乗ったり、明の太祖洪武帝の十四世であるとまで大法螺を吹きまくる。 とにかく、約100枚の絵には、ものすごい力が詰まっている。モノクロの水墨画では漆黒の殴り書きのような太い線にグラデーションのある墨の(色)。「すごい」「すごい」と叫びながら見ている自分がいた。 一気に書き上げたのであろう「唐獅子図」や「達磨図」の圧倒的な筆運びに息を呑む。 人を人とも思わないひねくれもの人格、いたずら心。今でいうバロック、サイケデリックとも言うのか。 裕福な生活が保障された若冲と比較すると不遇な生涯な中で絵を描き続けた蕭白には、世に反抗、人とも思わないひねくれもの人格、いたずら心が宿ったと言われる。 |