東方山安養寺と足利義尚の跡を訪ねる 2005/03/20



地元の栗東市にもいろいろ史跡はある。
たまぁに市が主催するハイキングがあり、参加した。
まず、新装なった、JR手原駅に集合。そこから、市の歴史博物館まで歩く。
歴史博物館にて、安養寺と、足利義尚についてのレクチャーを聞く。


安養寺に到着。


安養寺というと、日本にかなり多いが、東方山安養寺となるとここ。


聖武天皇の勅願によって創建された真言宗泉涌派の寺院。室町9代将軍足利義尚の陣所でした。




紅葉もいいが、雪景色も有名。




ここの庭は、ズバリ、琵琶湖になっている。






昼食のあと、出発。


足利義尚は義政と日野富子との間に生まれた将軍。


鉤の陣所。











 「某サイトより引用」

時代:室町時代
年代:1465年11月23日〜1489年3月26日

内容:室町幕府9代将軍。在職文明5〜延徳元(1473‐89)。足利義政の長男、母は日野富子。義尚誕生の前年義政は弟足利義視を養子としていたが、母富子とその兄日野勝光らは義尚の擁立を計画し山名持豊と結び、細川勝元と結んだ義視との将軍家継嗣争いが応仁の乱の一因となる。文明5年征夷大将軍となるが政務は義政がみた。同11年初めて政務を見るが、東山山荘に移った義政の周囲には多くの奉行衆が集り、義尚の回りに結集した奉公衆などと対立、幕政の運営は円滑を欠いた。長享元年(1487)所領問題を契機に、将軍の権威を天下に誇示するため、近江に出陣して観音城に拠った六角高頼を攻めたが、高頼は逃れて長期戦となった。翌年義煕と改名。内大臣に任ぜられたが、近江鉤の陣中で病没。法号は常徳院悦山道治。和歌をよくし『常徳院殿御集』がある。太政大臣を追贈された。



わずかに残る土盛りが陣跡の名残り。


守山まで歩く。三上山が美しい。


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