住友活機園の特別公開 2004/05/15



 我々の石山にこんなすごい文化財があった!!
今まで、新幹線の席から瞬間見えた、いわくある風景として知っていた。
 このたび、特別一般公開のインターネット応募の抽選に当たり、見学することができた。5/14.15.16の3日間、合計600人限定である。
 明治37年(1904年)の建築であり、今年でちょうど100年になる。


JR石山駅から徒歩15分、京阪石山寺駅から徒歩5分


美しい初夏の緑の向こうに、新幹線!!


受付を終えて、道なりに進む。


苔の緑が光る。


右へ曲がると。


まぶしい緑の庭に。


玄関を挟んで左が和館(少し見えていない)、右は洋館。

 この記念館は、高潔な実業家として知られる住友2代総理事伊庭貞剛翁(幽翁)を顕彰し、その精神を広範に学んでいただく施設です。 約100年前の明治時代、伊庭翁は人材の育成に尽力し、住友銀行(現在の三井住友銀行)、住友伸銅場(金属・電工・軽金属の前身)、住友倉庫、別子鉱業所山林課・土木課(林業・建設の前身)など現在の主要な住友各社を設立しました。また、煙害で荒れた四国別子銅山の植林や、製錬所の移転を通じて事業と環境問題の共存を考えた先駆者です。
 現在、住友活機園と呼ばれる本記念館の建物は明治37年(1904年)伊庭翁が引退するにあたり別墅(べっしょ)として建築されたものです。翁は「事業の進歩発達に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である」との信念から、僅か4年で総理事の地位を去り、以後、大正15年(1926年)この地で亡くなるまで、禅を愛し、静かな余生を過ごされました。その間、翁の人徳を慕ってこの地を訪れる人が絶えませんでした。また「活機」とは禅宗の思想で“俗世を離れながらも人情の機微に通じる”という意味を持ち、翁が晩年を過ごした地の名称としてふさわしいものです。
 建物は和館と洋館からなり、平成14年(2002年)文化庁より、「明治後期の大邸宅の姿を完全に伝える稀有な例」として重要文化財に指定されました。指定範囲は建物および「一括して景観をなす」とみとめられた庭園を含みます。洋館2階には平成9年展示室が設けられ、住友グループ発展の経緯や伊庭翁の経歴や人柄、建物の概要がパネル・実物資料などで展示されています。 庭園・建物とともに在りし日の伊庭翁を偲ぶことができます。


外で説明を聞く。1回約60人で3日間、合計9回。

住友活機園の特徴
1. 百年持ちこたえた木造軸組構造であること。
当時の名棟梁八木甚平衛が優秀な大工・職人の匠の技と精選した良材を用いて建築した頑丈な建物です。
2. 洋館と和館が併立していること
明治30年代のわが国住宅近代化の過程を示す邸宅が完全に残る希有な例として高い評価を得ています。
3. アールヌーヴォーを採り入れた当時の最先端のデザインであること。
多くの洋館設計を手がけた野口孫市博士の設計です。
4. バリアフリーを先取りした建物であること
階段の勾配、敷居の高さ、サンルーム等にバリアフリーの考え方が採り入れられています。
5. 新緑・紅葉・地表の苔の見事な庭園となっていること
「活機」とは、翁自身が名づけたもので、禅宗の思想で「世俗を離れながらも人情の機微に通じる」という意味をもっています。


洋館の全容。


洋館の2階部分。


昨日と今日は良い天気で良かった。明日は雨の予定。見学者はお気の毒。

建物内部は全面撮影禁止。徹底的に質素ながら、建材、建築技術は贅をこらしたもの。
100年経っても全く狂わず、頑丈で美しいまま。すばらしいものを見た。


和室を外から望む。

少し離れたところに茶室がある。

新幹線工事のため、茶室は移設されたとか。


茶室前の枯山水。


説明してくださった、当邸の支配人さん、ありがとう。


うーん。なかなか、いい1日だった。


次回、11月にも特別公開はあるそうです。


帰りに薬膳料理「喫茶去」に寄る。


瀬田川の美しい流れを眺めながらの中国茶、薬膳料理はなかなか味わいがある。


魚、肉などは無し。若い人にはつらいか・・・。食べ途中でスミマセン。


店内には、壁面に中国茶器が並ぶ。


ひとつひとつは小さく、かわいい。


各種の中国茶があり、これから選ぶのは大変。どれも体にグッド。


学生たちの練習風景を眺めて、ゆっくりとお茶を飲む。


帰りに、瀬田の唐橋を望む。


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