中国での当社環境関連システムの営業展開可能性について、中国要人への紹介をするべく出張した出張報告を要約して載せる。固有名詞はイニシャルにした。 |
1/4(火) 1.夕方、社長と関空を出発。途中、青島(チンタオ)で降り、ここで入国手続きを済ませる。 2.パソコン2台、プロジェクタ、プリンタ、カタログ、各種ケーブル類など全てを手持ちとしたため、かなりの荷物となった。 3.北京には21時ごろ到着、ここで、成田からのA氏と合流する。 4.中国側パートナーである、T有限公司の社長らの出迎えにより、ホテル「北京友誼賓館」に22時にチェックインした。 |
1.朝、ホテルにてT社の数人のお世話になる人や通訳のGさん(女性)に会う。 2.通訳のG氏はご主人は日本人でN(株)の社員で、G氏は北京大学の教授という才媛ながら、非常に良い人で、親切、知識家、勉強家で、今回の出張はT社を含め、彼女のおかげで実に快適であった。 3.車でかなりの距離を移動、吹雪と猛烈な寒さの中、郊外の清華大学の核反応実験炉を訪問した。このあたりは万里の長城、明の王宮も近くに。大学の門は銃を持った衛兵が守るという仰々しい雰囲気で、やはり、研究内容によるものか。 4.紹介ビデオを見た後、M教授から、実験原子炉と、核燃料保管炉を見学、説明を受けた。地域の暖房用施設として、このような小規模の原子炉は今後展開したいとのこと。 5.北京へ戻り、昼休みに、明日のプレゼンテーションの会場となる中国科学院化学研究所を訪問した。 |
1/6(木) 1.プレゼンテーション会場へ準備に出発。 2.会場にてプレゼンテーション機材のセットアップ、デモ設備の設置、テストを実施した。 3.参加者が集まり始める。 4.開始10時。通訳G氏 (1)中国化学院化学研究所副所長の挨拶 (2)国家環境保護総局核安全司のC氏挨拶 (3)当社社長の挨拶 (4)プレゼンテーション・ デモ (5)当社社長のお礼挨拶 G氏の通訳ぶりはまさに見事であった。予定より早めに終了 5.機材を撤収の後、会議室にて中国化学院化学研究所のK氏を始め、数名の所員と懇談した。研究の内容、当社との関連として、当研究所が最もつきあいが深いこと、当研究所から常時当社へ派遣研究生を受け入れていることなど。 |
1/7(金) 1.清華大学を訪問。1日めとは別の、北京市内にある、北京大学近くの学棟である。 2.高分子化学研究室のメンバと懇談。当社の事業はここの研究テーマに非常に多く共通性があること、エンジニアリングプラスティックなど、T社長の得意分野で、次の物理研究室訪問をキャンセルするほど、話に花が咲いた。 3.午後、北京協和病院放射医学研究所を訪問。古い建物ながら重厚、美しい建造物。アメリカロックフェラー財団の寄付で建設されたこの病院は伝統があり、ここの出身者が各地の病院へ巣立つため、波及効果は大きいとか。 4.イスラエル製の放射線医療機器などの使用中の現場、外国人用の入院棟の1室を見せてくれた。 5.病院関連2件のシステムのプレゼンテーションをした。 6.T社に戻り、昨日のプレゼンテーションのフォロー会をした。 7.参加者にT社でヒアリングした結果を聞いた。 8.今後の方針について、打ち合わせた。 |
途中で、「雍和宮」というラマ教寺院にお参りした。各種宗教の仏像が混在し、複数の言葉で表現する不思議なお寺。日本でも、神も仏もごちゃまぜだけど。若い女の子が線香をあげて熱心に拝んでいるのが印象的。 |
1/8(土) 1.デモ設備を貸し出すことになったため、T社のメンバに内容、デモの仕方、ポイントを説明した。業務として難しく見込みがあるなら、やはり、こちらからデモに再度出張する必要はありそう。 2.夜、T社の家族(父母、娘)とA氏の友人であるI氏と友誼賓館内の賓宮にて食事会をした。 3.社長の父親は高齢ながら、元気、非常に進歩的で最新技術への興味も若々しい。戦争中は政府要人で郵政関係、大使などをつとめる。 4.I氏は美人女性で中国在住10年、中国小説の日本語訳、自著エッセイなどを発表している。 |
1/9(日) 1.最終日。唯一の自由時間が半日だけ取れたので、社長と北京市内の乗り合いバスや地下鉄などに乗り、繁華街の王府井(ワンフーチン)を歩き、急いでタクシーでホテルへ帰る。 2.昼、チェックアウトを済ませ、T社長の見送りで故宮に立ち寄った後、空港へ。 3.北京空港を15:20発、無事帰国した。 |
所感 仕事で初めての海外出張にあたり、思うことをいくらか記してみる。 1.純粋観光で7年前に北京、西安、上海を経験しているが、北京市内の変貌は驚くべきものである。 2.市内を完全に横断するすごい高速道路、同心円状に配した何本もの環状高速道路、数十時間も走りつづける長距離鉄道のりっぱな駅、続々建築される巨大なビル、清潔・きれいな地下鉄、車の洪水など。殆どが仕事に追われ、社内から見る程度しかできなかったが、少なくとも、北京は世界を代表する巨大都会である。 3.デパート、スーパに入る機会があった。店員から3枚の伝票をもらい、現金支払い所で支払った後の2枚を店員に渡して商品をもらうなど、複雑なシステムとなっている。膨大な人口に仕事をあえて創るためのシステムと言われるのもあながち、冗談では無い。いたるところで道路に溝を掘っている。ブルドーザならすぐにできる工事も、スコップで男女問わず、深い穴を掘っている。人があふれる中国では、省力化、省人化などの理由では投資という概念は無意味であろう。 4.インターネットの普及がすごい。日本よりも電話料金は安いと思う。今や、先進国も後進国も無い。全ての最新情報は、世界中同時に公開されている。街の看板の多くにホームページのURLが入っているのは、日本よりも顕著である。 5.日本では、新しいことばはストレートにカタカナで表現できるが、中国では全てを漢字を充てていかねばならない。多くの新聞記者、情報誌記者か ら別々の漢字で発信され、いずれ、どれかに統一されると言う。カタカナが無いということは、不便ではあるが、新語があまりにも無防備に入って来る日本の社会も何か危険なような気がする。 6.北京に比して、中国の田舎は極貧の世界であり、この大きな国が自由主義を達成できるとはとても思えない。どのような国になるのかは想像できないが、最も興味ある国と言える。 7.良いパートナー、良い通訳に恵まれ、予想以上の効果を果たすことができた。 8.中国はこれから旧暦正月へ向け次第に休みに入ることから、タイミングとして、この期間しか無かったのであるが、それにしても、北京の酷寒(日中マイナス7゜C、夜間マイナス15゜C)はすごかった。 |